ヨーロッパ40日の旅 7  イタリアーローマ





・ローマ(2007年9月6日〜12日)

9月6日。
ウィーンからイタリアのローマへ移動し、ローマYHに7泊しました。生活水準の高いドイツとは異なり市内ではスリが多発しており、YHの設備は荒かったり、夜中に外部の人が部屋に入って来てロッカーの南京錠を壊そうとしていたり、と治安の悪さが目立ちます。しかし、危ないところ程 街は魅力的でもあることも多いのです。




夜遅く、いっこうに来ないバスを待っていると彫刻家の日本人に話しかけられました。彼は、僕がベルリンで会ったオオスギさんとフィレンツェで会ったらしく、「オオスギさんが、ヨーロッパを旅してる石山というおもしろいやつがいる、と言ってたけどもしかして君じゃないか?」と聞いてきました。他にも、ローマで会った人に数日後 スペインで再会したり、旅の間 このようなことに度々遭遇しました。物好きな連中の考えることは、どうも似ているようです。



9月7日、8日はヴァチカンへ。



9月9日。
レパント駅でバスを降り、カブール広場を通ってナヴォーナ広場へ行きました。古代ローマ時代に戦車競技が開催されていたため、広場は細長い形をしています。この広場には、3つの噴水「ネプチューンの噴水」、「四大河の噴水」、「ムーア人の噴水」があります。




ムーア人の噴水。
ベルニーニの作品です。口から水を吹いています。





サンタニェーゼ・イン・アゴーラ教会。
広場前のこの教会は、バロックの巨匠ボッローニの設計で建てられました。







ローマ国立博物館、アルテンプス宮。
15世紀の枢機卿の館で、古代芸術で知られるルドヴィシ・コレクションが展示されています。

中庭から2階のロッジアを見上げます。




竪琴を弾くアポロ。




ルドヴィシの玉座。
この美術館唯一の至宝です。紀元前460年に造られたもので、アフロディーテが二人の乙女に海から引き上げられる姿が刻まれています。丸みをおびた柔らかい造形により、美しくやさしい印象を与えています。




玉座の両サイドには、フルートを吹く乙女、香をたく乙女が彫られています。滑らかな造形と、差し込む自然光が絶妙にマッチしています。







水浴するアフロディーテ。




サン・ルイージ・デイ・フランチェージ教会。
フランスの守護聖人を祀る教会です。左側の礼拝堂にはカラバッチョの3部作「聖マタイと天使」、「聖マタイの召し出し」、「聖マタイの殉教」が並んでいます。




「聖マタイの召し出し」。
強烈な明暗のコントラストが劇的な視覚効果を生んでいます。カラバッチョのすごさは、光と影の選択が鋭い点にあります。ダリの描写にも通じるものを感じます。





パンテオン。
紀元前27〜25年、全ての神に捧げてアグリッパが創建し、118年にハドリアヌス帝が再建した万神殿です。ミケランジェロが「天使の設計」と称賛したローマ建築の最高峰です。




内部の丸天井には直径9mの天窓が開き、内部を美しく照らしています。内部は荘厳な空気に満ち溢れ、足を踏み入れた瞬間、僕は心の中でさえ言葉を失いました。言語化し得ない圧倒的な世界観です。




ジェームズ・タレル作「タレルの部屋」を遥かに凌ぐ場所でした。




現在は、ラファエッロやウンベルト1世、エマヌエーレ2世らがこの場所で眠っています。




ローマにはたくさんのオベリスクがあります。




ドーリア・パンフェーリ美術館。
豪華な私邸美術館です。




法王を輩出したローマの有力貴族の居室です。





ヴェラスケス作「インケンティウス10世の肖像」。




カラバッチョ作「エジプトの逃避行中の休息」。




サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会。
古代ローマの知恵の女神ミネルヴァの神殿の上に建てられています。青を基調とした美しい教会です。






ステンドグラスから指す自然光。




9月10日。
トレヴィの泉。
ニコラ・サルヴィの設計により1762年に完成したローマ・バロックの傑作です。海神ネプチューンとトリトンの力強い彫刻が立っています。多くの旅行者が泉にコインを投げ入れていました。気持ちのいい場所でした。




背後の宮殿を巧く利用しています。




ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂。




フォロ・トライアーノを横目にフォロ・ロマーノへ行きました。





夜、ウィーンのナカムラさんと偶然再会しました。



9月11日。
ローマ国立博物館、マッシモ宮。
紀元前2世紀から紀元4世紀のローマの作品を展示しています。




モザイクの迷路。




リヴィアの家のフレスコ画。
アウグストゥス帝と妃リヴィアの家で発掘された紀元前20〜10年のものです。緑の庭園が描かれています。漆喰壁の接着力を活かして顔料に接着剤を混ぜずに描けるフレスコは、発色の美しさが格別です。




「ランチェロッティの円盤投げ」。
彫像やレリーフ、石棺のコレクションも揃っていました。




「眠れるヘルメスーアフロディーテ」。
両性具有の彫像です。




おもしろい。







ディオクレティアヌスの浴場跡。
298〜309年の間に造られ、370×380mの広さをもつローマ時代最大の巨大浴場です。彫像や石碑、青銅器時代から紀元前12〜7世紀の発掘品が展示されています。





パスタリートというイタリアのチェーン店でスパゲッティを食べ、バルベリーニ宮(国立古典絵画館)へ向かいました。壮麗なバロック建築です。シモーネ・マルティーニ、フラ・アンジェリコ、ラファエッロ等 ルネッサンス時代の絵画を鑑賞しました。




ラファエッロ作「ラ・フォルリーナ」。顔の描画が見所です。






YH前のパン屋でパリパリのパンを買いました。ここのおっちゃん、24時間やっています。



9月12日。
パラティーノの丘。
コロッセオとの共通券を購入し丘へ向かいます。




スタディオが広がっています。石造りの古い遺跡が心に染みてきます。この丘は、古代ローマ共和制期の高級住宅地でした。人間の根源的な欲望は古代も現代も変わらないことをこの場で実感しました。




再びフォロ・ロマーノを訪れました。
ローマ時代、市民の生活の中心であった場所です。金融の中心として商取引が行われていたエミリアのバジリカは、紀元前179年に建造されました。






その他にも、レンガ造りの元老院や農業の神サトゥルスの神殿、聖なる道、ユリウスのバジリカ、ティトゥスの凱旋門等が続きます。当時の市民の生活を知ることができる貴重な場所でした。






コロッセオ。
紀元80年、ヴェスパシアヌス帝の命令で完成した円形闘技場です。





古代ローマ建築は、古代ギリシャから影響を受けていますが、芸術性や独創性では遠く及ばないと言われています。その代わり、アーチやドーム等の実用的な技術が発明されました。ローマン・コンクリートを巧みに操る技術は、ギリシャ建築では成し得なかった巨大空間の建造に成功し、この時、現代建築における全ての土台が作られることになりました。

コロッセオは、ローマ皇帝が市民の娯楽施設として建築を始め、後に息子であるティトゥス帝に引き継がれて完成しました。完成時には連日100日間に及ぶ闘技会が開かれました。外周527m、高さ48.5mもあり、当時すでに排水施設や地下道まで整っていました。約5万人を収容した巨大な円形闘技場では、人間対猛獣や人間対人間の決闘が見世物として行われていました。当時の皇帝から庶民までがその血なまぐさい死闘に熱狂していたことが、現代に生きる僕にとっては全く理解できないし恐ろしく思います。
ショーの主催者ローマ皇帝は、市民に娯楽を与えることで、治世の安寧を図りました。5世紀に入ると闘技会は全面禁止されます。かつて多くの殺人が行われた場所であることから、現在は死刑廃止のイベントに使用されることもあります。

現場でコロッセオの構造を見てみました。3階建ての各階には、柱の最上部にそれぞれ異なる装飾があり、それらはギリシャ神殿に見られる3種類の神殿とそっくりです。コロッセオには異なるギリシャ建築様式が取り入れられています。1階はドーリア式で、シンプルなデザインと上へ向かって徐々に細くなるのが特徴です。2階はイオニア式、柱頭に渦巻き模様の彫刻が付いています。3階はトリント式、柱頭にアカンサスの葉の彫刻をもちます。4階はアーチ無しのコリント式です。アーチを連続させて巨大な円形建築を造る技術は、古代ローマ建築の集大成です。観客席は身分によって決められ、1階は大理石張りで貴族等のVIP席、2階は木製の座席の一般席、3階は市民権を持たない人々の立ち見席となっていました。さらに同じ階でも既婚者、女性、軍人と細かく分けられていました。
これらは、人々に身分制度を意識させて帝国の秩序を保つための皇帝の巧みな統治術でした。
僕は、芸術は政治や宗教から独立し、純粋な美そのものを追い求めるものでありたいと考え絵画を制作しています。そのため、政治との依存関係の中で造られたコロッセオに立つと、一つの政治的な目的のために帝国の強大な力で生み出された故の建造物の強い存在感と恐怖を感じずにはいられません。
また、競技が行われたアリーナの下部分には地下室として迷路のような空間が広がり、剣闘士や囚人、ライオンやヒョウなどの猛獣を収容していました。人力で動かすエレベーターのようなものまであり、動物や舞台のセットを地下から昇降させていました。アリーナの床部分は、決闘で汚れた血を素早く洗い流すために砂を敷くという工夫がされています。




約1900年もの長い年月を経て、現在のコロッセオは至る所が傷み崩れて廃墟と化しています。特に3階部分の損傷は激しく、それらはヴァチカン宮殿を造るために切り崩されたと言われています。これから先も時間の経過とともにさらに形は崩れていってしまうのかもしれません。しかし、たとえどんなにボロボロになっても、人類の歴史の真実を示すコロッセオは、100年、1000年先の未来にまで残り、存在し続けてほしいと強く思いました。




ローマで最後に訪れたのがサン・ジョバンニ・イン・ラテラーノ大聖堂です。初めてキリスト教を公認したコンスタンティアヌス帝が314年に建設しました。世界で最も由緒ある教会と言われています。




かなりの大きさです。




中央部、法王専用の祭壇。








名残り惜しいですが以上でローマを離れ、スペインへ向かいました。


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