金沢





あいちトリエンナーレを観賞後、久しぶりに金沢を訪れました。卒業以来、8ヶ月ぶりです。10月30日、31日の2日間滞在しました。


最初に訪れたのは金沢21世紀美術館です。




僕は大学の4年間、金沢21世紀美術館でキッズ・プログラムのアシスタントとして働いていました。美術館の展覧会を活かしたワークショップを行なったり、「スイスのネフ社のおもちゃ(セラ、スカリーノ、アングーラの積み木)」や「レゴ」、「僕たちが考案した手作りのおもちゃ」等を使って子どもたちが楽しめる空間を作ったり、といった様々な仕事を美術館の学芸員の方々と共に行なっていました。幼少時の手を使う遊びは、創作の原点であり、人間の感性を刺激し豊かにするためのとても大切な行為です。そんな魅力的な現場に4年間関わらせていただいたことは、他で得難い貴重な経験でした。

僕は金沢21世紀美術館に4年間で2〜300回程訪れたことになります。これまでで最も多く訪れた美術館です。最先端のアートシーンが展開されるこの場で長い時間を過ごせたことは、本当に幸運なことでした。




美術館のお世話になった方々と久しぶりに再会しました。




美術館の外では金沢美大の学生たちが美大祭の仮装パレードを行なっていました。





全ての景色が懐かしく感じます。





金沢美術工芸大学へ向かいました。





大学では3日間の美大祭が開催中で、全国から卒業生たちが集います。懐かしい友人たちや大学の先生たちと久々に再会を果たし、楽しい時間を過ごしました。








独特な気質をもつ金沢は、僕にとって初めは人も土地も違和感だらけの異質な存在であり、馴染むまでに長い時間がかかりました。ひたすら絵に没頭し、試行錯誤を繰り返しました。様々な人たちと出会い、時には先生たちの厳しい批評を受け、それでも自分の信念と価値観を信じて描き続けた4年間でした。

絵を否定されることで気づかされたこともあり、また 悔しい想いをエネルギーに変えて絵を描いていたこともありました。反骨精神の旺盛な僕でしたが、思い返せばすべてが懐かしい思い出であり、油画の先生には深く感謝しています。様々な体験も、絵に打ち込む孤独な日々も、人との出会いもすべて意味のあることだったのだと今は思います。

4年間同じ環境で絵を描いていた同級生の友人たちにも不思議な感情があります。入学当初はこんな心情になるとは想像していませんでした。4年という時間をかけて少しずつ関係が変化していく体験はおもしろい感覚でした。偶然一つの環境に集まった25人でしたが、今では僕にとって特別な存在であり、一生切りたくない大切な腐れ縁です。





エントランスホールの大階段とサモトラケのニケのコピー。




事務局。





2階から。






油画の廊下。




美大祭開催中は展示会場になっています。




アトリエ。
他専攻は24時間アトリエが解放されていて、油画専攻だけは夜9時までという時間制限がありました。その状況下で朝から翌日の明け方まで連日10〜20時間ほど絵を描き続ける僕は、おそらく一番の問題児でした。大変お世話になった施錠に来る警備員の方々や先生たちとの格闘の日々が甦ります。懐の深い警備員の方々には感謝の想いでいっぱいです。




石膏室。入学して最初の課題は石膏デッサンでした。




大学2年のヨーロッパ滞在後 絵画の古典技法に興味を持った僕は、金沢美大の絵画組成の先生に一から絵画の技術を学ぶことになります。本当の意味でのプロの絵描きの技術を教わったその先生は、僕にとっての恩師です。技術の研究から「永遠の個」という絵が生まれ、さらに光の絵を描くようになっていきます。




グラウンド。




空想用の場所であったベンチ。




夜の美大祭の模擬店。




油画院生のテント。卒業以来の再会はたいへん感慨深いものでした。




体育館のライブやパフォーマンス。





最後の夜は、K君、H君と飲みながら美術の話で盛り上がりました。絵や美術のことを本気で語り合える仲間に出会えたことは、大きな財産です。




APAHOTELに宿泊。




多くの魅力的な人たちと出会い、一日一日が非常に濃い日々を過ごした金沢は、今では深い愛着のある場所になりました。滅多に行けないところですが、またいつか訪れたいと思っています。




しらさぎで三重県へ帰りました。

今後の活動拠点は現在模索中ですが、僕は今 三重県のアトリエで絵を描き、そこから外へ向けて発表活動をしています。周囲に誰もいない地方で一人で絵を描く毎日は、孤独であり、静かに絵のみと向き合う緊張感があります。



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