宇宙人の眼



深夜の鶴舞公園





「宇宙人の眼には、今の自分の状況がどう見えるのだろう・・・・・・?」




デジタル・デザインの会社で仕事を初めて4ヶ月が経ちました。


8月と9月、会社で制作したデジタルとボルダリングを融合したコンテンツを実施するため、土日に東京出張がありました。

平日の過酷な仕事を終えて、それから真夜中にチームのメンバーで機材を積み込み、東京に向けて深夜の高速を社用車で疾走していると、様々な思いが頭の中を巡りました。
「自分の個展と同じように強い気持ちで作ったこのコンテンツをついに披露することができる。」、「どんな反響があるのか?」、「これから先、自分はどこに向かおうとしているのか?」
・・・そんな思いが湧き上がり、未知なるモノへの興味や期待感は、すでに消耗しきっているはずの全身の疲れや睡魔を吹き飛ばし、不思議な感覚で運転していたことを覚えています。
夜明けには東京に着き、宿泊せずに仕事をして再び深夜には東京を発ち、休みなくまた1週間が始まる、という厳しい現実さえ一時忘れていました・・・・・・




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6歳で画家になると宣言して以来、現在に至るまでひたすらアートを続けています。プロのアーティストとして活動するようになってからは6年半が経ちます。

アートを通してこれまでたくさんの方たちと出会い、多くの素敵なご縁ができました。
アーティスト、コレクター、哲学者、キュレーター、企業人、デザイナー、評論家、ギャラリスト・・・挙げ出したらきりがないほど様々な職種、価値観、信念を持った人たち。

そうした多くの方たちから、最近よく聞かれることがあります。
「なぜデジタルの世界に足を踏み入れたの?」、「新しい仕事の環境はどう?」
多くはこの二つに絞られます。
そこで、近況報告もかねてこの約4ヶ月の間に経験し、学び、感じたことを簡単に書くことにしました。




私がデジタルの世界に入った理由は、アートとデジタルを融合し新たな表現を生み出すためです。

そして、環境が変わり強く実感したことは「アートとデザインは多くの点で対極にある。」ということ。

アートは孤独です。
アートの世界では多くの場合、「作家の死後、100年後、200年後・・・1000年先の未来まで、歴史に残る作品を創造できるか」というところに価値が置かれます
私もその一点にこだわり、創作を続けています。後世に残った作品は、必ず美術史の中に位置付けられます。とてつもなく長い時間軸を見据えた孤独な創造に、アートの哲学があります。

アーティストは常に、世界や社会、組織の常識・固定観念に疑いや問いを持ち、創作を続ける生き物です。
「世の中の当たり前」に対して、作家独自の視点で切り込み・作品化させ・提示することに全身全霊を傾けて挑み続けています。

一方デザインには、今、目の前に存在する多くの人たちに対して、素早く確実にわかりやすく伝える事ができ、何らかの実利を生み出す、というポテンシャルがあります。情報整理を肝とするデザインならではの強みです。

時間に対する価値観、伝わる速度、内容の複雑さ、思考の深度やプロセス・・・どれもが対照的に思えます。




デジタル、デザインの領域にとって完全に「異物」である自分を採用することは、会社にとって相当思い切った決断であったのだろうと想像されます。
「デザインにアートをとり入れる」という役割を託されて、私の挑戦の日々が始まりました。



当初、デザインのことを知らない自分がどこまで言っていいのかという迷いもありましたが、アートの視点をチームに伝えることを根気強く続けていました。しかし、アートを知らない人たちにアートの視点や価値を理解してもらうことの難しさは計り知れないものがありました。

そこで、この数ヶ月、私は会社の中ではとにかくデザインの方向に振り切った形で仕事をすることに徹してきました。まずは私が一時的にアートを封印し、徹底してデザインとチームに歩み寄る、というスタンスが今は必要だ、と考えたからです。
25年かけて積み上げた自分の武器を完全に封じ、丸腰で未知の分野に挑み続けることは、無謀であり、想像を絶する辛さがありますが、同時に、予測不能な窮地を乗り越えていく面白さもあります。



次々与えられる仕事に終電まで打ち込んだり、さらに持ち帰った仕事を徹夜で仕上げたり、そんなことを繰り返す日々は超ハードです。ちなみに、実質の残業時間はとてもじゃないですが人には言えません。

かなりタフな私でも、過労で体を壊すこともありました。それでも、「新しい表現への欲求や興味」がそれらを上回ることで、この数ヶ月、思い切りデザインに没頭することができているのだと思います。

アートの世界だけにいたら知り得なかったであろう数々のデザイン、技術、情報をひたすら浴び、吸収する日々は、スリリングで新鮮です。まだまだ興味は尽きません。




それからもう一つ、私にとって未知だったことは、「組織の中に自分の身を置く」ということです。そして、チームでの制作です。
もちろん、組織やチームの中で自分の信じること・求めるものを100%表現しきることは到底不可能です。当然、様々な制約が生まれます。しがらみも存在します。調整の連続です。
「一人の創造」とは異なる「複数人の化学反応による制作」、そこに難しさと可能性があるのだと思います。
その可能性を信じて、私は今の会社に入りました・・・


私はこれまでずっと一人で創造を行ってきました。アートの創造は孤独であり、豊かです。全てを一人で背負うからこそ自由を獲得し表現することができます。そこにはしがらみも妥協も存在しません。切なさと静寂と苦しみと共に生み出された作品には、自分の血肉を分けた分身のような愛おしさが宿ります。そうして、私のよく言う「売りたくない作品」が生まれるのです。

そんな私が、チームでの表現にこれまでとは別の可能性を見出したのは、25年、孤独と共に創造し続けてきたからこそのものです。


今、私は個人のアーティスト業と、組織・チームでのデザイン業を並行して行っています。
今のところ、その二つは平行線です。様々な理由がありますが、アートとデザインが交わる兆しは皆無と言えます。
果たして本当に、二つが交わることはあるのか?


アートを軸に生きていくことは、これからも絶対に変わりません。

私の軸はあくまでもアートにある。
孤独な創造こそ、私にとって最も意味のある行為です。生涯をかけて追求していくことに迷う余地などあり得ません。
そこにどのようにデジタルを加えることが最善なのか?あるいはそもそも必要なのか?


これから先、自分はどこに向かうのか?

日々、問い続けています。



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私は今、新たな環境で、様々な意味において貴重な経験をすることができ、それらが自分の中に蓄積されていくのを感じています。

ここで感じたこと、得たこと、全てが強い実感の伴った創作の糧となり、いずれ"Alien Vision"として「宇宙人の視点」で作品化し、社会に提示していきたいと考えています。



宇宙人の眼には果たしてどのように映るのか・・・・・・?






Alien Vision 書き下ろし漫画シリーズ 4P ©ISHIYAMA Hiromichi







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