2014年8月20日水曜日

ゴジラ 2014





写真は子ども時代からの宝物、ゴジラのコレクションの一部です。

当時は毎年、誕生日とクリスマスにゴジラのオモチャを買ってもらい、正月には家族でゴジラを観に行くのが恒例だった。ゴジラに出てくる怪獣の身長や体重、戦闘方法を全て暗記していたし、さらにコアな情報は「ゴジラファンクラブ」最初期からの会員になることで常に得るようにしていた。
特に大好きな「ゴジラVSデストロイア」などはビデオがすり切れるくらい何十回と観た。先月、BSで数年ぶりにデストロイアを観たが、本編の各シーンはもちろん、台詞もほぼ全部覚えていて自分でも少し驚いた。そして何よりも、「ゴジラの死」を描いたデストロイアこそ、第1作と並ぶゴジラ映画の最高峰だとあらためて感じた。
日本の「ゴジラ」と「ゴジラVSデストロイア」については1年前にブログで書いているので、詳しくはそちらで。↓

http://art-ishiyama.blogspot.jp/2013/08/blog-post.html




「ファイナルウォーズ」以来、ゴジラはもう10年もの間スクリーンに帰ってきていない。


先日、ギャレス版「GODZILLA ゴジラ」を観てきた。
今作はレビューなどでは、「98年のトカゲゴジラよりは遥かに良い。」とか、「ゴジラが好きな監督が作っただけあって、随所にオリジナルへの敬意が見られる。」、「これはゴジラの映画と認めることができる。ゴジラが復活した。」など、わりと肯定的な意見が多いように思う。

果たして本当にそうか?


僕には今回の「GODZILLA ゴジラ」が「ゴジラ」に敬意を評した作品とは到底思えない内容だった。
はっきり言って、かなり酷い。


1.<ゴジラの出自>
まず、ゴジラ誕生の経緯を改変した点がいただけない。
オリジナル版の「ゴジラ」では、ビキニ環礁の海底に潜んでいた太古の恐竜が水爆実験で眼を覚まし、水爆エネルギーを全身に漲らせ放射能をまき散らして日本を襲撃する、という基本設定がある。人類が生んだ「核」により生まれたのがゴジラであり、この点こそがゴジラの本質である。(因に当時のポスターには「水爆大怪獣」と銘打たれている。)本編で明言されることはないが、この水爆実験とは誰が観てもアメリカの水爆実験を指している。
しかし今作では、「ゴジラは被爆したのではなくペルム紀から生息する種族の末裔であり、54年の水爆実験はゴジラを殺すために行われていた」という、都合のいい改変が為されていた。自国の核実験肯定のため「ゴジラの本質=人類の核が生み出した」という根本の設定そのものを改変した今作が、オリジナルに敬意を評した作品と言えるのだろうか?(98年のエメリッヒ版ゴジラでは、フランス領の水爆で生まれた設定。)


2.<ゴジラのデザイン>
ゴジラのデザインについても、「前回のトカゲと違い、日本版に忠実」という感想が多いが、色がなぜあんなにグレーがかっているのか?ゴジラの色は黒である。
また造形もあいかわらず爬虫類的で、ハリウッドのいわゆる"モンスター"の域を出ていない。オリジナルは、製作陣すら「ヘソがあるのかも分からない。」と語るほど、通常の生物を超越した存在としてデザインされていて、もっと奇妙でカッコいい。


3.<短い>
ゴジラの登場シーンの異様な短さも気になった。
オリジナルでも初期の「モスラ対ゴジラ」などゴジラの登場が後半までじらされる作品はある。もったいつけるのは構わない。が、例えばモスゴジではひと度ゴジラが登場すると、そこからクライマックスまではゴジラとモスラの戦闘がたっぷりと描かれ、鑑賞者に一定の満足感を与えるように構成されている。同じく登場がじらされる第1作「ゴジラ」でも、後半のゴジラがひたすら街を破壊し人類を蹂躙する絶望的な場面が十数分間に渡って続く。
しかし、今作ではゴジラ登場までを徹底的にじらされるだけでなく、登場後のゴジラも数秒や数十秒ですぐに人間のカットに切り替わり、怪獣映画の一番の醍醐味である「暴れる怪獣」や「怪獣同士の戦闘シーン」が非常に短くなっている。一体、ゴジラの出演シーンはトータルで何分あったのか?
CGでゴジラを描くため、予算的な制約もあったのだろうか。オリジナルは、着ぐるみによる特撮だからこそたっぷり怪獣のシーンを撮れたわけだし、何より着ぐるみという実在する物質だからこそ攻撃されるゴジラの痛みや怒り、哀しみといったリアルな感覚を表現することができたのだと思う。


4.<敵怪獣>
ゴジラに比べてわりと丁寧に描かれていた敵怪獣ムートーの方がまだ感情移入できた。特に2体のムートーが出会う場面や、卵が大尉に爆破されたシーンの哀しみなどは少し切なかった。


5.<人間が主役>
前回同様、人間ドラマがくどい。
オリジナルでは人間は後半、怪獣バトルが始まるとほとんど傍観者になるのが常であった。「ゴジラ」の主役はあくまでゴジラであり、主演キャストではない。
一方の今作では、ゴジラは完全に脇役であり、主役はフォード・ブロディ大尉である。後半になっても人間の主人公側の戦闘や感動シーンにしっかりと時間が割かれている。そして時間をかけている割に、それぞれの人物造形がステレオタイプ過ぎて非常に薄っぺらいため共感や感情移入もできず、救いようが無い。「VSスペースゴジラ」の結城くらい魅力的な登場人物がいれば多少マシにはなったかもしれない。


6.<ストーリーの稚拙さ>
ヒロシマの数十倍の威力を持つメガトン級の核弾頭がサンフランシスコ沖で作動し、核爆発後の街で防護服も無しで渡辺謙たち人類が普通に歩いている終盤のシーンはあまりにも滑稽に見える。また、ストーリー展開も非常に遅い。


7.<カット>
宝田明さんの出演シーンをカットしたのはなぜか?これはあまりにも残念な点。映画としての重みが全く違うものになっていた。


8.<正義の味方?>
従来の勧善懲悪型の特撮作品と「ゴジラ」が大きく異なるのは、ゴジラは正義の味方ではなくまた一方的な悪でもなく、計り知れない人類の脅威として描かれている点にある。
しかし今作のゴジラは、まるで人類の救世主のような振る舞いで敵怪獣を倒し、自分から積極的に人間や街を襲撃することはない。「人類にとってゴジラとは何か」を問いかける初期や平成のオリジナルに対して、キャラクター設定の甘さが目立つ。


9.<芹沢という名の無駄遣い>
芹沢という名はゴジラファンにとって特別な意味を持っている。第1作に登場する芹沢博士は、オキシジェン・デストロイヤーを使って自らの命と共に初代ゴジラを殺す。その存在は平成の完結編「VSデストロイア」でも大きな意味を持っている。
今作でも芹沢という名の博士が登場するが、渡辺謙演じるこの芹沢は終始おろおろとしているだけで特に活躍するわけでもなく物語は終わる。芹沢の名を使う意味がまるで無い。




この監督、今までゴジラの何をみてきたのだろうか?


映画「GODZILLA ゴジラ」は「ゴジラ」ではないと僕は思った。



「映像が迫力あるし娯楽映画としてみれば一興」、みたいな意見も聞くが、だったら只のモンスター映画を作れば言い訳で「ゴジラ」を名乗るべきではない。
そもそも、ゴジラの本質(出自の理由)を根本的に否定して毎度改変してしまうハリウッドに「ゴジラ」の名を冠した作品を作る資格は無い。



少しだけよかった点もある。一つは放射能の熱線のシーンが格好良かったこと。
もう一つは、アメリカ版とは言え久々にゴジラが話題になったことで、ゴジラ9作品と名作、平成「ガメラ」三部作がテレビ放送されることになったこと。



ゴジラはまだ復活していない。
数十年後でもいいから、いつかまた本物のゴジラが観たい、と心から思う。





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