ヨーロッパ40日の旅 5  オーストリアーウィーン





●ウィーン(2007年8月31日〜9月5日)

8月31日。
ミュンヘンを最後にドイツでの14泊を終え、飛行機(LH)でオーストリアのウィーンへ移動しました。ウィーンには6泊しました。
空港から国鉄S7でウィーン・ミッテ駅へ行き、地下鉄U3でノイバウガッセへ。ミルテンガッセYHにチェックイン後、市内を周遊します。まずは路面電車でリンク(ウィーン中心部を取り囲む環状道路)を一周し街の様相を把握します。


オペラ座が見えてきました。




自然史博物館。
マリア・テレジアの夫であるフランツ1世の膨大なコレクションが並ぶ博物館です。




自然科学全般にわたる様々な展示品が見られます。




最大の目玉は「ヴィレンドルフのヴィーナス」です。
ヴァッハウ渓谷出土の紀元前2万4千年前の像と言われ、サグラダ・ファミリア、ゲルニカと並び今回の旅で最も見たかったものです。



わずか11.1センチのこのヴィーナス像には、生きている人間に匹敵する程の圧倒的な存在感がありました。豊かな体つきのこの像は、当時の人々にとって多産や豊穣のシンボルであったとされています。

この像から僕は、理想化された女性像というよりも母親のような印象を受けました。命の根源は女性にあり母にあります。顔が具体化されていないことで、見る人それぞれが各々のイメージを膨らませて近しい感覚を覚えるようにできていて、まさに女性や母の普遍的な像といえます。
今から約1万年前に現代人と同じ脳の容量、つまり脳細胞の量をもった「現生人類」が現れたと言われています。彼らは遺伝的にも能力的にも現代人とほとんど変わりません。しかし、文字がなかったため彼らの生活は5千年間停滞していたらしく、今から5千年前、ようやく文字が誕生しました。
ヴィレンドルフのヴィーナスが造られた2万4千年前には、文字が全くなく、脳の記憶容量は現代人の半分くらいの人類が生きていました。その人たちがこのヴィーナスを生活の中で必然的に造り出したことは、人間が生きていく中で芸術がいかに大切で必要なものであるか、を示しているように思います。美を創造することは尊く、大きな喜びを生みます。

現代の社会では、お金や洋服、車など実用的なものに比べて、芸術は生活の中でなくてもいいもの、或いは趣味や娯楽の一部、専門分野や興味ある人だけの世界、などと軽くとらえられがちです。また、現代では自身の内容・内面の充実が不十分なまま、スタイルでごまかした思わせぶりな芸術が多数見られます。そこには作り手のテーマに体する実感が希薄なため、見るものの心に何も響いてきません。
遥か昔の旧石器時代の人々にとってこのヴィーナスを造り出す行為は生活に極めて密接に結びついていたのだと思います。この女性像は、心に生きる実感や豊かさを与えてくれる本物の美術作品でした。






恐竜の化石。




ウィーンでは城のような建物が並んでいます。




9月1日。
シュテファン寺院。
高さ137mの南塔は1359年に65年がかりで完成しました。ウィーンのシンボルです。






北塔から。




独創的なモザイク。




モーツァルトハウス・ウィーン。
1784年〜1787年までの間、モーツァルトが生涯で最も幸福な時間を過ごした家です。




ウィーンでは珍しく素朴な教会、カプツィーナー教会。小さくて品のいいところです。




アウグスティーナー教会。




国立図書館プルンクザール。
世界一美しい図書館と謳われています。世界一豪華な図書館という方が適切では?





ミヒャエル教会。




ウィーンらしい白と金の派手な造形です。

教会を訪れると、その土地の芸術性が見えてきます。
例えば、ドイツは人も芸術もストイックで重々しい傾向があります。それらは教会にも顕著に表れていて、直線的で洗練されたシンプルな構造体が基本です。
一方、ウィーンの教会は豪華で派手な装飾が施されていますが、ドイツ程 洗練されておらず、やや間抜けなおかしさがあります。異文化や異人種に対して無頓着な様子のオーストリア人の姿とも重なるところがあります。




フォルクス庭園を抜けると国会議事堂が見えてきます。




ヨーロッパの中でも超一流と評されるブルク劇場です。
シェイクスピアをはじめ各国の有名な劇団が公演を行っています。




内部の様子です。




天井には「ディオニソスの祭壇」や「タオルミナの劇場」といったクリムトの作品も見られます。クリムト初期の擬古典派風の作品です。




ステージ上から観客席を見た様子。




ネオゴシック様式の市庁舎では、コンサートのリハーサルが行われていました。




ヴォティーフ教会。




こちらはドイツ風な教会です。




ウィーンミュージアム・カールスプラッツ。







ウィーンでは、クリムト、シーレの2大スターが大人気です。次いでオスカー・ココシュカ。
ウィーン幻想派の作品はどこにも見当たりません。一時の流行として、忘れ去られてしまったようです。





9月2日。

造形美術アカデミー絵画館。

ヒロニエムス・ボッシュ(ボス)の「最後の審判」。
独創性極まる究極の祭壇画です。シュールレアリズムの原点がありました。実はこの作品、2週間前ベルリンの絵画館で見たばかりで、ここでは2度目の対面となりました。世界を巡る名画です。




多くの絵画では、天国よりも地獄の世界が魅力的に描かれています。




美術史博物館。
自然史博物館と向き合う形で建設されています。




ティツィアーノ作「ヴィオランテ」。




ベラスケスが驚異的な技巧で描いた「青いドレスのマルガリータ王女」です。




接近すると、タッチの少なさに驚きます。しかし、一歩下がればたちまち本物の質感に変貌します。顔と手以外はほとんど描き込まず、絶大な存在感を放つのが、ベラスケスの絵画です。




「バベルの塔」。
ブリューゲルのコレクションは世界最多です。




「農民の婚礼」。




模写をする人。




フェルメールの「絵画芸術」。




1階のエジプト展。




夜、ブラジル人の科学者と同室になり健康状態を見てくれました。「とてもいい状態です。何かスポーツをしているか?」と聞かれ「水泳をやっていた」と応えると納得。同じくドミトリーへ泊まりに来た演劇の脚本を作っているナカムラさんと3人で語り合いました。この後、ナカムラさんとは、ローマでも偶然再会し同室になり、また日本でも会うことになります。縁とは不思議なものです。



9月3日。
ハプスブルク家の歴史に触れました。一家系で650年も続いたハプスブルク家が存在していた時期、ウィーンは音楽、美術、建築等 様々な文化面で発展を遂げました。



王宮。




銀器コレクション。膨大な量の食器や調度品が並びます。





シェーンブルン宮殿へ行きました。
女帝マリア・テレジアの末娘マリー・アントワネットは、15歳でフランス王家に嫁ぐまでの間、この夏の離宮で過ごしました。




部屋数は1441室。ボヘミアンクリスタルのシャンデリアが輝きます。壮観な大広間に超豪華な食器や家具のコレクションの数々、どれもが一級品です。お金持ちの悪趣味とは言い切れない気がしてきます。




気持ちのいい並木道が続きます。




ネプチューンの泉。
トロイの母テティスが息子の航海の無事を海の神ネプチューンに祈る、というギリシャ神話を示した噴水です。1780年に造られました。




宮殿の建物や庭園を通り抜けると、小高い丘の上にあるのがグロリエッテです。丘を登るにつれて、宮殿と周囲の風景が刻々と変化していき、何とも言いがたい心の安らぎを感じました。
グロリエッテの屋上からの眺めは絶景です。




現実離れした宮殿内での生活はさておき、美しい自然にあふれた丘や泉で過ごす時間は確かにいいなあ、と感じました。




9月4日。
王宮家具博物館。
1747年、マリア・テレジアがハプスブルク家の豪華な家具コレクションの保管倉庫として造らせました。小さな博物館ですが、アジアの屏風や椅子、ランプ等の珍しい品々が展示されています。




皇后エリーザベト。




毛皮。




ヴェルヴェデーレ宮殿上宮(オーストリア・ギャラリー)。
英雄プリンツ・オイゲン侯爵の夏の離宮です。ヴェルヴェデーレ(美しい眺め)という言葉がぴったりの宮殿でした。オーストリア風バロック建築の代表として知られ、宮殿からの緩やかな斜面に広がる庭園が特徴的です。





クリムト作「接吻」。
天才的な金の扱いに魅了されます。絵画に装飾的な要素を取り入れ、高次元な域で完成させたクリムトの作品は、まさに万人に受ける絵と言えます。





シーレのコレクションも充実しています。




9月5日。

大規模な複合美術館、ミュージアムクオーターで過ごしました。10以上のモダンな美術館やギャラリーがひしめくアートスポットです。

レオポルト美術館。
ここでも、クリムト、シーレをはじめ数々のウィーン世紀末芸術が見られます。




シーレの作品はシルエットが美しい。




30点以上に及ぶシーレの絵が展示されていました。






MUMOK(ルートヴィヒ財団近代美術館)。

鑑賞者の陰を投影する作品です。




コンテンポラリーアートが勢揃いした美術館です。




北から南へ向かう今回の旅ですが、オーストリアの次はイタリアです。


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